間もなく入線時間です。寝台列車で最も苦しいのは、寝台の狭さもさることながら、飢餓です。「飢えと乾き」・・・砂漠並みです。車内に食堂車も車内販売も自動販売機もないのです。途中駅での停車時間短いですし、目の前が駅弁屋でも深夜早朝は開いていません。乗る前の買い出しが重要な作業になります。駅弁、おにぎり、カロリーメイト、お茶3本など、多めに購入します。しこたま購入後、ホームへ向かいます。五所川原で時間を使ってしまったために、青森の町でうまい夕食を食べる計画は、すっ飛んでしまいました。貝焼き食べたかったなあ~。
北に帰る人の群れを感じることはなく、そこに現れたのは「日本海」の写真を撮ろうという鉄道マニアの群れ…まもなく今回の旅行の目玉の寝台特急「日本海」が入線です。マニアの吹き溜まりの真下に、DE10に先導されて「日本海」が入線してきました。最期をしのぶマニアの大人気のため、この日から2両増結され、長くなったために、据え付けられると機関車は暗闇のホーム端です。人混みをごめんごめんとかき分け、ちょいっと撮影。敦賀機関区EF81 101です。ローズピンク色のバリバリ国鉄型電気機関車です。
それにしても、たくさんの人がカメラを向けています。マニアはもちろんですが、乗客なのでしょうか、奥様方お子さんも見受けられる。ホーム端が暗いので、暗闇の中蠢く人々は異様に見えます。ストーブとリゾートで見かけたドリカム組み合わせの鉄3人組、弘前往復に付き合ったために大慌てになって撮影していました。
みんなアドレナリンが大量に出て、発車時間が近づくにつれ、半狂乱になってゆくのですね。…って自分もそのひとりなのだあ。前ばかり見ていても、いけません。この日の連結されている車両を記録しながら、最後尾の電源車のカニまで行く。白帯、金帯といろんな車両が混ざっています。検査の都合等で、他の車両よりは「まだよい」車両たちが流れ流れて青森に集まって、編成を組んでいます。その中に「日本海」とともに廃形式になるであろう、オロネ24を見学します。
カシオペアやトワイライトという好成績の寝台列車が時代のニーズにより個室化された今、ベット幅が広いけど、通路とはカーテン一枚という設計で残った車両です。開放型A寝台車といいます。「日本海」のみに連結されており、列車廃止とともに廃形式になるでしょう。…私も今回、購入をトライしましたが、すでに完売でした。私は一生乗らなかった形式ということになります。
青い車体を眺めつつ、前の方に戻ってきて、私の車両は3号車5下です。B寝台とは、↓こういうところです。
私達マーシャルは危険で証人を助けるために何をするのか
幅はハンガーサイズからご想像ください。人間は寝返りしない設計です。何度も乗っているハネ下ですが、いつも今回が最期だとおもうので、シーツやスリッパなど現場が荒れる前に記録を納めなければなりません。実に狭く、人間的ではなく、サービス的でもありません。へろへろの浴衣とハンガー。なぜか寝台幅より少し短いシーツ、毛布1枚。寝て起きる「技術」が必要です。もはや修行なのです。もっとも近似した光景は永平寺など修行僧であろうかと…決められたスペースに秩序よく美しく生活することが求められます。自分が整理整頓しきれいに使えば広く快適になり、乱雑では狭く見苦しい。カーテンを開いている間は、他人に自分の部屋を丸見えにされている状態なので、品格が現れてしまうのです。
B寝台は上下二組の4ベットが向き合っている構造です。4人グループなら和気あいあいです。しかし2人旅ではまず下段が売れるので、残った上段2つに乗るということになると、なかなか難しいことがあります。前回乗った「北陸」のように、深夜出発早朝到着なら構わないのですが、長距離を走る「日本海」では、寝るまでと起きた後の時間が長く、上段に乗ると・・・窓もない狭いベットに残されて居場所を失います。そこで重要なのはコミュニケーション能力です。
残念ながら鉄道マニアには最も欠けている能力です。見知らぬ上下で挨拶をして、下段に4人で座ることが出来るかどうかで旅の様相は変わってきます。「お互いがお互いとコミュニケーションをとりたい」と思わなければ成立しない…のが難しいのです。4� ��のお客さんは乗車から下車までずっとカーテンを引いて全く姿を見せませんでした。こうなると3下の方も、静かになってしまい、楽しそうではありませんでした…が、話しかけられもしなかったので、そんなに関わりたくない方だったのかもしれませんね。
旅を楽しくするのは、見知らぬ人とのコミュニケーションで短時間であれ人間関係を作れるかどうかという点です。旅の恥はかき捨てと言います。積極的になんでも話しかけていいのではないでしょうか。反面、深くは立ち入らないという日本的な美学もあります。淡交同舟一夜ヲ過ス、そのバランスの上に「旅」であり「一宿同泊」の楽しさがあるのです。
マイアミ戦争の責任者は誰であった
19:51青森駅発車!車両内外の写真を撮っているうちに、やはりあたふたと発車してしまいました。
まずは腹ごしらえ生もの弁当なので早く食べねば。「津軽海峡 海の宝箱」これは旨かった。
発車直後、1下2下に親子連れがいらっしゃることに気が付きました。お見受けするに間違いなく「親子鉄」です。ま、そういうわけで私はどんどん話しかけるわけです。親子鉄の方は実に気分のいい親子さんでした。わが2歳の息子の鉄道英才教育の目指す形がここにありました。まさに人生の先輩親子であり、あまりの美しい光景に目眩がしました。しかも、「お母さんは付いてこない」という点も美学を感じるのでした。少年に、座席に座る私自身の写真を撮ってもらい、とりあえず、発車後にやらねばならぬ作業は終了です。
私のボックスには未だ誰も乗ってきません。マニアは青森から乗る方が多いので、ごく一般の方がお客である可能性が高い。もうカーテンを引いて(興奮して寝られはしないのですが)横になって休んでしまってもいい時間でしたが、もしやすんごい美人がやってくるのではないかという妄想にかられ、なんとなく起きていました。
大館駅、名物の鳥めしを買いたいのですが、明るい駅舎は遥かに遠くて諦める。すると、6下のお向かいにお客様です。大柄な茶のコート。美女でないことは即座にわかりましたが、手にされているのは「錫杖」あたまはツルツル。美女との楽しいひと時を妄想していた私のお向かいは、お坊さんだったのです。…落ち着かれてから、お話をうかがいますと・・・明日、高野山に行き1泊、バスに乗って� �国遍路の方だそうで、今年は53か所を巡礼するとのこと。僧籍ではなく大館の先達のような方らしい。5上6上はご高齢のご夫婦で東能代からご乗車になり、四国ご同行とのこと。3人組ということです。私は自分のベットに5上の方にお座りいただき、話の輪に入っていたのですが秋田の3人のお話は60%しかわからない。一方「列車に乗るためだけに東京からやってきた男」というのも分かっていただけない。それはそうだな・・・・ははは。
すでに消灯されていて、先ほどまでワイワイして、うっさいなあ~と思っていた団体さんも静かになりました。一方、私のボックスはなんだか、かなり賑やかになってきてしまう。大館弁の話も分からないし、ぽつんと私がしていて、旦那さんが座っているから私は眠れないという、お互� ��やや気遣いな空気が流れてきたので、車内を散歩に出かける。
1号車に行ってEF81を眺めたり、先ほどの親子鉄と、往年の碓氷峠の話をしたりする。お父様は、私より1段昔の世代。少年よりはずっと新しいものの、少年は国鉄型大好きというのは、大変、心強いお話しでした。お父様のご教育が素晴らしいのであろう。
うつ病の価格
6上のお遍路奥様が寝支度と見えて、前を通る「もう休んでください」と仰っていただき、話は終わったようだ。70代のご夫婦は揺れる車内細い、はしごをえいえいと登って上に登る。どう考えても高齢化社会に対応したの車両とは思えず、やはり廃止の運命にあるのかもしれない。…だったら個室のオロネ25 やB個室の24系で揃えたら?という気もするが、車齢が高くサービス面で劣る。ではカシオペアを新製してはと思うが、それほどのニーズがないのだろう。青森からのお遍路さんが高額なカシオペアツインに寝るのは考えにくい。またご先達のお話しでは新青森まで新幹線が来たことで、6時間を超える長旅だが、東京で新幹線を乗り継ぐこともあるそうです。新幹線 開業が旅客の動きを変え、その結果「日本海」は廃止されるということです。
就寝。普通は通路側を頭寝る。どうも下がっているようで、窓側に変えてみる。枕が低い、カバンを枕にしてみる、ハンガーがコツコツ鳴る。自分のかと思ったら上段のハンガーだ。またどこかに停まる。汽笛が鳴って、ごとり発車。……寝られないまま、酒田を出た。このあたりまでが寝台で大阪に行こうというお客さんの南限である。スーツ姿の方などまだ乗ってくる。
トロトロ寝たようだ。列車が停まって目が覚めて、枕元のカーテンを開ける「新津」。
うとうと寝たようで次に気が付いたら4:00「直江津」。ここで下車して「きたぐに」に乗る計画もあったが、とてもとても起きられない。
次に目が覚めたのは「富山」5:30過ぎ、車窓には、早起きの通勤客の姿がある。起きてもいい時間だろう…背中が痛くて、もう眠れない。ベットに座って頭を覚醒させ、ズボンをはき、人に見られてもいい姿になり、カーテンを開けると「金沢」である。通路にでると、1下の少年が座っていた。「にやリ」である。私も夜行列車で満足に寝られたためしがない。いつも通路の折たたみ椅子で、ぼんやり流れる車窓を見ていたのだ。夜汽車は少年を大人にするのだ。
金沢の6:35の時間を見ると、15分ほど遅れているようだ。
金沢を出たところで、朝のご挨拶アナウンスが入る。列車に遅れが出たために予定よりも早いアナウンスである。現在、奥羽・羽越線内の交換列車遅れにより15分遅れているということ、さらなる遅れが見込まれるということ。お急ぎの方は福井で下車し、サンダーバードに乗り換える措置をとることが放送された。日本海に乗りに来ているわけだから、まさか乗り換えるわけはないが、このチャンスを逃すと「いくら遅れてもいい客」となる。
皆さん起きだしてくる。8上下の団体さんの奥様は、なんでおくれるのかしら?ということであるが、こういうもんですと申し上げた。この団体さんは、日本一周鉄道の旅の大旅行中である。話を聞くと、鉄道マニアでも、いやマニアであれば余計そうはしないような、電車ばかりの強行軍である。出発は福岡―なぜかバスで鹿児島―九州新幹線で博多に戻りーフェリーで大阪―新幹線を乗り継ぎ新青森―札幌―稚内―札幌―青森―日本海に乗車―新幹線で博多に戻る…という?何それ?子供が作った旅程じゃ。しかしご参加の60後半のシニアの皆様だいぶお元気で、それぞれのボックスで話が盛り上がっているようだ。ご夫婦よっぽど仲良しじゃないと、キツイだろうなあ。
↑加賀温泉で予定外の停車時間があり、ゆっくり撮影会となる。
加賀温泉で5054Mに抜かれ、芦原温泉で4006Mに抜かれる…いわゆる急行停車駅で特急に抜かれる。武生で4008Mに抜かれ今庄で4M。近江舞子で4010Mに抜かれた。軽快な走りが、遅くなり、がたがたとポイントを渡り、のろのろガッタンと中線に停車。このパターンが続いた。救済措置の福井を過ぎれば、それでも乗っている人は「遅くていい客」なので、遠慮なしに特急に抜かれていく。団体の奥さん「でもこれも特急よね」ということに気が付いた。
ゆっくりですから…四国巡礼の皆さん起きてきて、また4人掛けになる。東能代のご主人に「ほれ食べな」と味噌にぎりを2つも貰う。さすが夜行列車慣れてるう。おにぎりがたくさん出てくるし、奥さんからきゅうりの糠漬けも勧められる。今回の旅行で最もうまかったのはこの糠漬けである。福井からは車内販売が乗ったという。「最後尾から参ります」とのこと。こちらは前から3両目、案の定、幕の内弁当最後の1個お茶もコーヒーもありません。津軽鉄道は品切れなしで優秀なのに比べ、空っぽワゴンはなんだあれば売れるんだからいっぱい載せればいいのに。
列車は何とか敦賀に近づいた。
日本海のハイライトは敦賀での機関車交換である。出遅れないために先頭車両に進むと、オハネフはすでに鉄の巣窟となっており、後から後からやってきて敦賀10分前には超満員電車状態になった。敦賀駅に到着して飛び出すマニア!土曜日の朝になったこともあり、駅撮りのマニアも多く、ごったがいしている。この日は101から108に国鉄色同志のバトンタッチ。満足である。
敦賀を出ると新疋田のループである。上りに乗ったのは初めてなので、初新疋田ループである。6下の大阪の鉄さんに解説を受け、あちらこちらに見え隠れするレールを眺めるのは実に楽しい。列車は初乗りの湖西線を、左に琵琶湖、右に比叡山を見て進む。
山科のトンネルを過ぎると、京都である。結局、40分遅れで、京都到着。車内の皆さんにご挨拶して下車。皆さん車窓から温かく見送ってくれた。一宿の人情に心温まる旅でした。
梅小路機関区編に続く
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